J-NF’s blog

雑記、備忘録

世間と私のズレ~その1~

歳を重ねるにつれ

自分の感覚や常識と他人のそれが大きくズレていると感じる事が多い。

 

①どうして、無灯火の自転車が多いのだろうか?

無灯火の自転車に乗っている人は周りが見えているのだろう。だが、自分は周りから見つけられているだろうか?

この時期の夕方18時を回ると外はかなり暗い。

帰りを急ぐ人達ばかりだ。 そこに無灯火の自転車で走るという事がどれだけ危険かを考えないのだろう。 阿呆である。

 

②どうして逆走をする自転車が多いのだろう?

全ての道で逆走するなとは言わない。 その土地によって、安全に走れる側も違うだろう。 私が言いたいのは、逆走する上に避けない人についてだ。

車は左側通行。自転車も同様。進行方向の左側を走る。また自転車は軽車両扱いなので、車道を走れるといっても左に寄り、後続車の通行を妨げてはいけない。

こんなのは常識と思うのだが、逆走するのだ。そして避けない。

こういったタイプの人に出会うと、自分の後ろからきている車に気をつけながら車道側に入り、逆走者が自分の左側を通っていくという危険な目にあう。

他人のそういう事を考えられない。 馬鹿である。

 

③どうして曲がり角でカーブミラーを見ないのだろう?

見通しの悪い交差点。大抵カーブミラーがついている。のだが、見ない。

自転車もバイクも車も見ない。

おかげで停止線で停まっていたら車が突っ込んできて(こちらは自転車)危うく事故になりかけた。

この時は、十字路で、私が通る道路は狭く、一方通行ではないが、車のすれ違いはかなり難しい道だ。上から見た時、アナログ時計で例えると、私は6時の方角から進み、相手は9時の方角からきていた。 狭い交差点である。どの道にも停止線は引かれており、私の停まった場所からはカーブミラーが見える。このカーブミラーは3時の方角と9時の方角から来たら、6時の方角が見える位置にある。

なので、停止線で一旦停止し、カーブミラーを見れば、6時の方角の道はどういう状況か見えるのだ。

だが、見ない。特に9時の方角からくる相手はほぼ見ない。

これ以外にも、カーブミラーを見ない&逆走のダブルコンボという阿呆もいた。

この時、左折する道だった。ミラーには、こちらに近づく影。「減速を強めよう」と思い。かなりスピードを緩めて曲がったら、目の前に自転車に乗った高校生である。

私がいつものスピードなら確実にぶつかっていた。

少しでも短い距離を走りたいからか、相手は曲がる私の正面に来る場所まできていたのだ。

何せ、見通しの悪い所を行くのだ。曲がった先が見えていないのに「大丈夫だろう」で突っ込む神経が解らない。と昔は言っていた。

 

今ははっきりと解る。

上記にあげた3点。 全て考えてもいないのだ。

はっきり言えば阿呆であり、間抜けとしか言いようがない。

停止線や標識は理由があってそこにある。

なぜここにあるのか?を考えて欲しいものだ。