今週のお題「名作」 という事で。
前回、1年ぶりの更新に自分の事を少々書いたので、次はテーマに沿ってみようと思う。
名作と一口に言ってもたくさんあるしなぁ。
ふと思い出したのはどこかの記事で見た話で
A「Bさん、あの本は読まれましたか?」
B「いえ、まだ読んでおりません」
A「えぇ⁉️ 大ベストセラーですよ」
B「失礼ですが、ダンテの『新曲』は500年以上続くベストセラーですが読まれましたか?」
A「……」
という、流行りだけを追いかける事を揶揄しているのだろう話。
うろ覚えだが、確かこんな内容だったと思う。
さて、ともかく私があげる名作。
◆小説
三国志は沢山書かれているが、私はこの所謂「吉川三国志」というものしか読んでいない。 三国志は中国という大陸を3つの国に分かれて覇を競っていた時代を描いた小説であるが、大きくは正史と演義がある。
こちらは三国志演義を元にしたものであり、有名な諸葛亮孔明なんかはまるでスーパーマンの如く描かれている。
また、正史と演義で人物の描かれ方が真反対になっている人物もいる。
正史は舞台となった三国に分かれた時代を最終的にまとめあげた晋という国の人が確か描いたはずだが、この頃になるともう私はあまり興味がわかない。私はやはり諸葛亮が好きだし、見事なまでの政治手腕を振るったと思ってしまうので、五丈原の戦い以降、蜀が衰退していくのはやはり興味が沸いてこなかった。
さて、これを名作に挙げたのは… 読めばわかる(笑)
まぁ、全八巻あるので、読み切るだけでも「活字の本は読めない」という状態ではなくなると思う。
2,「プルターク英雄伝」
ナポレオンは非常な読書家であり、彼も好んだ一冊と聞き、読んでみたら面白かったが、出版社によっては名前の表記が変わっている。
作者のプルタークも英語表記なだけで、プルタルコスとも言うそうで、自分の感覚で読みにくい名前の書籍を買うと最悪かもしれない。
これは「ブルータスお前もか!」のセリフが出てくる物語とかが入ってる。
前の記事にも書いたと思うが、J.F.ケネディをして「もっとも尊敬する日本人」と言わせた上杉鷹山。
120万石の領地から関ケ原の戦いを経て30万石に領地を減らされ、後継ぎ問題でさらに15万石まで厳封された上杉家、その米沢藩に此度藩主となるのは養子の藩主。
もう、最悪の条件の中からの藩運営である。
いかに彼が状況を打開していったのか。という話。
昔、ある漫画のネタにも使われた。 それぐらい有名な小説。
この物語の探偵役は御手洗潔というキャラクターなのだが、御手洗シリーズとして短編から長編まであり、どれもお勧めだが、私は短編集「御手洗潔のメロディ」に収録されているSIVAD SELIMというエピソードが大好きだ。
だが、短編集なので省き、第一弾にあたるこちらを勧める。
5,重松清「きみの友だち」
人との関わりは色々な経験を積ませてくれるが、今ほどネットから情報というものが得られない時代、私は人間関係でよく躓いた。特に弱さを見せると舐められる。そういう考え方が根底にあったと思う。 よく考えれば、「助けてほしい」「力を貸してほしい」素直に言えていれば、男女問わずもう少し同級生と繋がれていたかもしれない。
また、私は女子同士の友達感覚や人付き合いなどは全く理解していなかった。
私から見て友達に見えた人は実はそう仲良くなく、腹の探りあいをしていたり、同性と異性では対応が違っていたり、全員が自分を作っていたかもしれない。
あの時代はとにかく強がってばかりいたと思うのだ。
この本を読むとそれを思い出すし、何か胸の奥がキュッと掴まれる。
◆映画
1,「ライフ・イズ・ビューティフル」
第二次世界大戦、ドイツ、収容所 こういえば、舞台の想像はつくと思う。
お父さんが息子と交わした約束がどうなっていくのか。
「失敗しちゃったなぁ」というお父さんの表情が強さと愛を感じさせてくれる。
2,「ペイフォワード」
皮肉なラストだと思った。
英雄というのはやはりこうなってしまうのか?と。
しかし、人種超えてこの映画の中で言われている事が出来れば、素晴らしい世界になるかもしれないが、世の中「テイカー」と呼ばれる人がいるんだよなぁ。
3,「スパイダーマン2」
幼い頃、ヒーロー映画といえば「スーパーマン」だった。鉛は透視できないとか、どこかの星の鉱物が弱点(だったと思う)とかのわずかな弱点はあったが、やはり強くて凄いヒーローだった。
大きくなり、スパイダーマンが実写化された。
大いなる力には大いなる責任が伴う。 1作目の名セリフである。
そして本作、ヒーローである彼「ピーター・パーカー」は苦悩する青年だ。
ヒーローとして生きるには実際の生活との兼ね合いが大変だ。いわゆるダブルブッキングというのが予定もなく飛び込んでくる様な物だ。
そして、彼の選んだ決断。から覚悟。 その心情は感動する。
そして観終わった後に考えるのだ。
「大いなる力」それは誰しもが持っているのではないか? だったら
「大いなる責任」それは誰しもの行動に伴うものではないのか…?
そう思ってしまう。
以上がひとまず挙げられる名作だ。